ロース幼稚園の歴史
~120年のあゆみ~
新約聖書のコリント人への手紙の一節に『いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛とこの3つである』とありますが、ミス ロースはこの聖書のことばに慰められ、励まされて希望を持って日本の子どもたちの教育にあたりました。
真に『愛の人ロース』として、神様と人を愛することを心から願い、子どもたちとともに育てられていこうとの思いにあふれていたのです。
この志を受け継ぎ、幼児教育に携わってきた『ロース幼稚園』は2017年には創立120年の時を経て、今第2世紀を歩み続けています。
小樽は歴史とロマンの町です。
今もその面影が町のそこここに見られます。
明治34年の小樽の町に走っていた荷馬車の数は553台、自転車の数は11台。
他の交通手段といえば、歩くことしかなかったのです。
何とのんびり、ゆったりした時代だったのでしょう。
それでも、北海道内では函館に継いで2番目に活気のある町であり、通りには人々が行き交い、各地からは大勢が移住して来ました。
また、電気が灯る開けた文化的な町でした。
小樽の町はあまりにも急速に発展したために、教育は立ち遅れていました。
小学校で学ぶことの出来た女子は約40パーセントでした。
1895年(明治28年)、小学校を修了した女子のために、女学校が創られました。
ミス クララ・ロースによる「静修女学校」・・・それは小樽における女子高等教育の場でした。
1987年(明治30年)には、幼稚園が始まりました。
まだ「幼稚園」ということばが一般的ではなかった時代です。
しかし時が経つにつれ、次第に生徒も増え、順調に教育の業も進められるようになりました。
1914年大正3年6月14日(日)の早朝、クララ・ロースは心臓発作のため、突如として天に召されました。64歳でした。
クララ・ロースの墓は、今も札幌の街を見下ろす円山墓地の一角にあり、園児と共に、毎年墓参に訪れています。
そして今、”すべての子どもたちに、平等に光(愛)をそそぐ”という、キリスト教保育の概念にそって、私たちは保育にあたっています。
新約聖書のコリント人への手紙の一節に『いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛とこの3つである』とありますが、ミス ロースはこの聖書のことばに慰められ、励まされて希望を持って日本の子どもたちの教育にあたりました。
真に『愛の人ロース』として、神様と人を愛することを心から願い、子どもたちとともに育てられていこうとの思いにあふれていたのです。この志を受け継ぎ、幼児教育に携わってきた『ロース幼稚園』は2017年には創立120年の時を経て、今第2世紀を歩み続けています。
小樽は歴史とロマンの町です。
今もその面影が町のそこここに見られます。
明治34年の小樽の町に走っていた荷馬車の数は553台、自転車の数は11台。
他の交通手段といえば、歩くことしかなかったのです。
何とのんびり、ゆったりした時代だったのでしょう。
それでも、北海道内では函館に継いで2番目に活気のある町であり、通りには人々が行き交い、各地からは大勢が移住して来ました。 また、電気が灯る開けた文化的な町でした。
小樽の町はあまりにも急速に発展したために、教育は立ち遅れていました。
小学校で学ぶことの出来た女子は約40パーセントでした。
1895年(明治28年)、小学校を修了した女子のために、女学校が創られました。
ミス クララ・ロースによる「静修女学校」・・・それは小樽における女子高等教育の場でした。
1987年(明治30年)には、幼稚園が始まりました。
まだ「幼稚園」ということばが一般的ではなかった時代です。
しかし時が経つにつれ、次第に生徒も増え、順調に教育の業も進められるようになりました。
1914年大正3年6月14日(日)の早朝、クララ・ロースは心臓発作のため、突如として天に召されました。
64歳でした。クララ・ロースの墓は、今も札幌の街を見下ろす円山墓地の一角にあり、園児と共に、毎年墓参に訪れています。
そして今、”すべての子どもたちに、平等に光(愛)をそそぐ”という、 キリスト教保育の概念にそって、私たちは保育にあたっています。
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